2014年11月13日木曜日

Paul McCartney & Wings / Band on the Run

 RamとBand on the Runは奇妙な関係にあって、前者はポール(&リンダ)名義での事実上のプレ・ウイングス作品。後者はウイングスの名を借りた事実上のポールのソロ作。ある意味で裏表の関係。だけど後者はバンドっぽくて、前者はパーソナルな匂いがする。

 俺は基本的に「バンドマジック」というのは「バンド名」にも宿ると思っていて、それはピートとロジャー二人だけが生き残ったフーを見たときに思いを強くしたんだけど、要するに、バンドというのはメンバーが「バンドであろう」と思ったときに成立すると思っている。だからRamはデニー・サイウェルとヒュー・マックラケンがどれだけ奮闘しようとあくまでポールとリンダの作品だし、Band on the Runはポールのワンマンレコーディングにデニーとリンダが「参加した」状態で作られてもバンドの音楽として成立しているのだ。

 そういえばBand on the Runがまさに「バンドが逃げた」状態で作られた、っていう言及がされてるのを見た記憶がないのだけど。コレは余談。

 レココレの特集では「バンドがいないからあえてBandというキーワードに思いを込めた」というような(うろ覚え……)ことが書いてあったんだけど、コレはさっき書いた「バンド名マジック」と同じ意味だと思う。作られ方も多分Ramに近くて、ポールのドラム(またはピアノ)とデニーのギター(またはベース)でラフなベーシックを録って、そこにオーバーダブ(半分以上がおそらくポール自身によるもの)を加えて行った筈。ただ、あくまでセッションマンだったマックラケンやドラマーのサイウェルと違って、作曲やプロデュースの能力のあるデニーと、ビートルズ時代から信頼を置いているエンジニアのジェフ・エメリックの存在がこのアルバムから「不安定要素」を取り除いているんじゃないかと思う。あとは、My LoveやLive and Let Dieの成功によるポール自身の自信の復活か。

 さっきは「参加した」という書き方をしたが、実はデニーの貢献は結構大きくて、というか大きくならざるを得なくて、実際、こういうとき以外に気が小さくなる面もあるポールは結構デニーに頼っただろうし、結果として、No WordsとPicasso's Last Words(あ、両方とも「Words」だ)ではデニーとポールがリードヴォーカルを分け合っている。

 とはいえ、音空間に漂う空気はMcCartneyやMcCartney IIに近いもの。Ramと違ってベーシックからかなり練られているんだけど、サウンドそのものはラフじゃないんだけど、どことなくデモっぽいんだよね。それは後に多くの曲(近年のライヴまで含めればMamunia以外の全曲)がライヴでバンド編成で再アレンジされ、プレイされているせいもあるのかもしれない。つまり、このアルバムの曲のバンドとしての完成形が後に提示されてるのね。

 特にLet Me Roll ItやBand on the Run、Jetの完成形は明らかにWings Over Americaでのもの。まあ、その分異形性が取り払われて普通のロックンロールになってしまった、という面もあって一概に「完成=最高形」では無いとは思うんだけど。

 Let Me Roll Itに関しては特に昔からこの論を言い続けてたんだけど、ジミー、ジョー参加後のヴァージョン以降のアレンジはあくまで「完成度の高いブルーズロック」で、レノンのCold Turkeyとの比較をするような音楽ではなくなっているとも思う。Cold Turkeyは逆にトロントでの普通のブルーズロックヴァージョンからスタジオ録音で異形の「レノンブルーズ」(俺の造語)に進化したんだけど。Let Me〜の場合はそれでも、One Hand Clappingで聴けるジェフ・ブリトンが叩くヴァージョンからジョーのドラムに代わる課程でリズムの側から異形性を取り戻してるのは面白い。

 そういえばBand on the Runも元々はポールの持病である「憧れのHappiness is a Warm Gun症候群」から産まれた曲の一つ(にして最高峰)だから、このアルバムは結構「レノンコンプレックス」から産まれた作品でもあるのかもしれない。この病気についてはまた別途語るとしたい。

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