2014年11月17日月曜日

365日のシンプルライフ

 俺はコレクター気質だし、物欲の虜であって、部屋にモノが多いことではこの映画の主人公にも引けを取らないだろう。だからなんかの参考に……とか思ったわけでもなく、テーマ的に面白そうだったし、予告編で、冬の深夜、フィンランドの街中を全裸で走るシーン観たら笑っちゃって、あとはもう観るしかないじゃん?

 コレはドキュメンタリー、ではないのかな?登場人物はすべて実名で、監督であり主人公のペトリと、その家族、友人、恋人が本人の役で出演している。映像も、この「実験」を本当に記録したものに見えるシーンもあるし、映画のために演技して取ったものもあるように見える。恋人といるときのにやけ顔はリアルだし、彼女のことを聞かれてもいないのに友人に語って薄いリアクションをされるシーンなんかも、脚本としては書けるシーンじゃないように見える。逆に、演技ではないけど倉庫の内側から撮ったシーンなんかは映画用の追加撮影かな、と思ったり。何にしても、映画の多くの部分に彼自身が記録として撮影したものが使用されていることは間違いなく、俺はとりあえず、セミドキュメンタリーだと思って観た。

 主人公(脚本、監督でもある)が自らに課した「実験」には4つのルールがある。公式サイトでも見れば書いてあるけど、いちおう記しておこうか。

(1)持ち物をすべて倉庫に預ける
 本当に「すべて」だから全裸から始めるのが馬鹿馬鹿しくて良い。倉庫まで拾った新聞紙を使うのは、アリなのね。

(2)1日1個だけ持ち帰れる
 コレは補足が必要か。「1日に持ち帰れるのが1個」ではなくて、「365日で365個持ち帰れる」と言う方が正確だ。つまり、3日倉庫に行かなければ3日後に3個持ち帰れるのだ。だから彼は「机があったら椅子が必要になる」みたいな理由で複数のモノを持ち帰ったりも、する。だけど「前借り」は駄目なようで、例えば今日2個持ち帰って、明日行かないってのは不可、と言うコトのようだ。

(3)1年続ける
(4)1年間何も買わない
 持ち物になるようなモノは買わない。食料品や、新聞はアリのようだ。
  
 そういう生活してると、なんか「何も持っていない」って状態に意義を感じ始めるみたいで、50個持ち帰った時点で「もう何も要らない」って思ってしまったのが凄かった。でもその気持ちは少し解る。一週間一桁ツイートしかしてなくて、たまたまある日ちょっとしたリプしたのを切っ掛けに二桁超えちゃったときの悔しさ、とか……ちょっと違いますか。
 結局必需品はそのくらい、もう少しちゃんと生活するためのモノを足しても100番目くらいまでに揃っちゃうのね。だから55番目くらいから釣り道具とか、趣味のモノが顔を出し始める。面白いのは、パソコンは23番目に持ち帰ってるんだけど、携帯は82番目(パンフ裏面のリストより)。これは友人や家族等とのコミニュケイションに支障をきたしはじめた、って描写もあるんだけど、それでも3ヶ月近くどうにかなってるのは凄い。

 気になるのは、96,97番目と135〜163番目にレコードを持ち帰ってるんだけど、リスト見た限りタンテやオーディオを持ち帰ってる気配がない。インテリアとして持ってきたのかな?

 途中まである程度フィクション、と言うか、役者が出てると思っていたのでおばあちゃんが怪我をしてから老人ホームに入るって話になるまでの流れが切なかった。おばあちゃん、凄くいい人だし聡明だし可愛い。ペトリに色々アドバイスするんだけど、すべてが的確で、大切な話なんだよね。あとは冷蔵庫。ちゃんと伏線になって繋がってくるのが凄くて、まるでフィクションみたい。

 逆に「ああ、記録映像使ってるんだな」って思ったのは、彼女と正式につきあい出す前の映像には彼女の顔が一切映らないこと。気を使って撮影してるんだね。ラスト前に、二人で倉庫にやってくるシーンで遂に顔が出る。可愛い子捕まえたねえ。

 フィンランドでは、映画公開後彼の生活を真似してみたり、ある程度の期間モノを買わないことに挑戦する人が続出したようだ。俺もエンドロールに流れる365個のモノ(フィンランド語で書かれてるからなんだか解らないんだけど)のリストを見ながら、自分の生活を少し変革させるのも必要だろうなあ、と思っていた。確かにモノが多すぎる。少し整理しなくちゃな。

 この日は映画の割引がある日だったからもう一本見ることにしていて、次まで時間があったから横浜駅に戻ってフラフラした。そして、早速我慢できずに自転車のパーツやらCDやらレコードやら買い込んでる自分の姿が、そこにあった。

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