2014年10月4日土曜日

 「NO」と言うタイトルから電気の曲名、ひいてはニュー・オーダーを思い出してしまうがこのタイトルは「エヌ・オー」ではなく「ノー」と読む。素直に読め。

 88年にチリで行われた、独裁政権の是非を問う国民投票を扱った映画。ホドロフスキーの「リアリティのダンス」がチリを舞台にしていて、それを観た後でこの映画の予告編を観たから気になっていたのだな。音楽もそうだけど興味が芋づる式に繋がっていくのでやめられない。特に俺なんか映画そのものが新鮮だからね。

 早くも閑話休題。

 政治的な内容で、ドキュメンタリーを内包したフィクションと言う意味では以前観た「怒れ!憤れ!」にも通ずるが、こっちはもっとフィクションだし、物語だ。ドキュメンタリー的ではないな。当時の本物の映像を使ってるだけで。その本物の映像をなじませるために映画全体が80年台のビデオ機材で録られてる、って手法は面白いのだけど。
 内容的にも政治は扱っているけど難解ではなくて、知識ゼロの状態で観ても充分理解できる(パンフを読むと背景が解ってもう少し掘り下げられるからより面白いけど)。

 独裁政権に対しての是非を、15分枠のテレビ番組を通して各陣営が問うのだけど、所謂政見放送のスタイルではなく、国民にシンプルな形で浸透するようなPR番組を制作、放送する。そのためにプロの広告屋が雇われて……というのが大まかなストーリー。勿論主人公がNO陣営の番組を担当し、同時にSI(Yes)陣営には彼の上司が所属し、敵対する立場になるというのはよくあると言えばよくあるんだけど、まず敵対(というか、敵対しなさ)ぶりが面白いんだよね。

 何がいいって、二人とも自分の職務に対しても思想に対しても徹底的にクールで、プロフェッショナル。主人公が自身の広告をプレゼンをするシーンが4回くらい出てくるんだけど、1回目はコーラ会社、2回目はNO陣営、3回目は映画、4回目(エンディング)は何だっけな。ともかく、4回とも全く同じトーンで、同じテンションで、同じ方法で話を切り出す。「まず最初に言いますが、これは現代にマッチしています」クライアントが誰でも自分のスタイルは一切崩さない。「政権を倒すんだ」と熱く燃えるのは彼の政治思想もあるんだけど、実は彼自身の中では「コーラを売るんだ」でも「映画をヒットさせるんだ」でも全く等価なのね。

 それはYES陣営の中心人物でもある彼の上司も同じで、歳が行ってる分若干保守的な部分があって、あと政権との繋がり(癒着?)的な部分も見えて、主人公よりは俗っぽく描写されてるものの、自分自身の「作品」に対する視線のクールさや、主人公との関わりで彼を「敵」として見るときと「仕事仲間」として見るときの線引きが異様なくらいしっかりしてて、後半むしろこの人のプロっぷりに惹きつけられたくらいだ。

 両者ともに放送を観るときは常に「自分の作品」と「ライバルの作品」への批評的な、冷徹な目を向けるだけで、興味の対象は「どちらのイデオロギーが正義か、勝利するのか」ではない。勿論彼ら自身自分の信じる政治思想の側に立っているのだけど、決して思想に寄り添わず、あくまで「どちらのアプローチがアピールするのか、勝利するのか」だけが彼らの興味なのだ。

 だから、主人公はNO陣営の勝利には喜ぶけど仲間とともに勝利の美酒に酔うでもなく、あくまで自分の仕事を一つこなし、成功させた、という時点で終わっているわけ。だからパーティにも加わらず息子を連れてさっさと帰宅する。そして次の仕事を、何事もなかったように同じ上司と組んで行う。上司も彼のプレゼンにハクを付けるため、平気で「彼はNO陣営の宣伝担当でした」と吹聴する。うっかりするとコレを彼らの和解と観てしまいそうなんだけど、そもそもこの二人は別の仕事をしていただけで(ある意味では)仲違いさえしていなかったのだ。ただ、クライアントが敵対してたからその職務に忠実に振る舞っただけで。

 他の人物たちも多かれ少なかれクールでドライでプロで、印象深いシーンも沢山あるんだけど俺はこの二人の描写にすごく強く惹かれた。勿論独裁政権下の政治劇で、デモへの弾圧や政治活動への圧力なんかも描かれてるんだけど、それより「プロの広告屋のクールな仕事っぷり」に主眼を置いたのがこの映画最大の魅力だったんじゃないかなぁ。少なくとも俺にはね。

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