2014年10月13日月曜日

ローマ環状線、めぐりゆく人生たち

 面白そうだと思って観に行ったら全然わからなかった映画。

 グレート・ビューティで描かれるのとは真逆の、華やかなローマではない部分を切り取った作品。幾つかの場面が定点観測的に繰り返し描かれる。救急隊員の日常、TSの売春婦、偏執狂的な植物学者、うなぎ漁師の夫婦、邸宅をレンタルする没落貴族、朝から晩まで会話を続ける父娘……

 基本的にはドキュメンタリーで、環状線周辺に暮らす人々の生活を描いているのだけど、ただ、(映画、ひいてはドキュメンタリー慣れしていない)俺の感じ方が下手なのか、視点がなかばランダムに切り替わり、明確な焦点が無い映像には戸惑ってしまった。自分の視点の置き場が無い。感情移入する先が無いのは仕方ないし、物事は俯瞰で観たい性格なので良いのだけど、カメラは俺がもう少し観たいと思うと次に切り替わり、もういいやと思う部分を延々映し続ける。この匙加減が俺と監督で食い違ってたのが一つの原因。

 もう一つは、ドキュメンタリーでありながら妙に芝居がかったシーンが散見されるところ。特に没落貴族のシーンは邸の内部で映画(ドラマ?)撮影が行われたり、その最中に主人が別の部屋で風呂に入っていたり、家族でパーティ(教会の儀式?)に行くシーンも微妙に非現実的だったり、まあこのシーンだけ「華やかなローマ」の断片というか、残滓が混ざっているせいもあるんだろうけど、唐突な印象があって自分の中のスピード感覚が狂わされてしまう。

 だからだんだん何を観てるんだかわからなくなって、結局印象的なシーンは沢山あるんだけど微妙な気分ばかり蓄積されていく映画、という印象になってしまった。

 だけど、この映画の後に二本の映画を観て少しだけ解った気がする。

 グレート・ビューティはフィクションだけど、これとセットで観るといいと勧められていた。確かに、対比出来るシーンが沢山あったり、断片的な映像が、あくまで他人事として通り過ぎていく感覚は意外に近い。視点を主人公に置くか、監督に置くか、という話なワケだ。

 それから「無作為な定点観測」という意味でリヴァイアサンが意外に近いんじゃないか、とも思った。無作為では無いんだけど、何箇所かに取り付けられたカメラがそこで起こっていることを淡々と映し出していく。人の生活と魚の死体は等価なんじゃないか、という気さえしてくる。

 映画的ドラマに結実しないフィクションと、ドキュメンタリー的主張を持たないドキュメンタリーを観て、ようやくある程度この映画の鑑賞法が見えてきた。もう一回観るかなぁ。

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