2014年3月22日土曜日

Ultravox / Brilliant

 バンドが再結成して、アルバムを出したときに、そのアーティストらしいと感じるのはまあ良いコトなんだろうけど、それは所詮懐古である、って言う考え方も出来る。再結成とは言え、先へ進んでいると感じさせなきゃ駄目なんじゃないか?という考えもあるけど、客が求めるのは昔ながらの彼らのサウンド。昔ながらを求めるから再結成を求める。懐かしくない再結成に価値は感じて貰えない。

 ウルトラヴォックスは、ミッジ・ユーロ率いる最盛期のメンバーで09年に再結成、同年再結成ツアーのライヴアルバム、11年にもライヴEPを出した後、12年に全曲新曲のこのアルバムをリリースしている。

 アルバムを聴いたとき思ったのはやっぱり「ああ、俺の好きなウルトラヴォックスが帰ってきたよ」っていう安堵感。サウンドはRage of Edenの頃の雰囲気を今の技術で演ってる感じかな。2012年に出たとしてはあり得ないくらい80年代っぽい音なんじゃないかな。
 前記のようなことを書いている俺でさえこういうのを聴くと当たり前のように安堵している。そう、やっぱり俺達は再結成バンドに新しい姿なんか求めていないのだ。

 でも、そう言いつつもここでのウルトラヴォックスはやっぱり、当時のウルトラヴォックスとは全然違う。大きいのはやっぱり、ミッジの声。いや、決してあの伸びやかな声が失われたわけではない。ライヴアルバムでも衰えなさには感心したし、ここでも美声を堪能させてくれる。

 でも、枯れた。「円熟」と言うより「枯れた」という印象。伸びやかなまま、枯れた。美声が美声のまま枯れて深みを増して、元々持っていた何とも言えない哀愁が更に美しく伝わってくる声になっている。楽曲もそれを生かすかのように、スロー/バラード系の作品が多めになっていて、まあ古くからのファンにわかりやすく言えば「Visions in Blueがいっぱい入っているような」作品になっている。ViennaじゃなくてVisions in Blueなのがミソね。

 だからDancing with Tears in My EyesやReap the Wild Windみたいなキャッチーな作品群を期待すると結構肩すかしを食らう。勿論、俺もそうだった。オープニングのLiveなんかも結構ポップだが、それでも哀愁系の要素(I Remember (Death In The Afternoon)に近い感じの曲調だ)が強く入っている。他の曲も、リズミックな曲でもどこか「枯れた」要素に引きずられて強力にガツンと来るタイプにはなっていない。でも、その分「深み」があって、繰り返し聴くうちにどうしようもなく身体に浸み込んでくる。

 円熟ではなく深化。前進=時間を重ねること。枯れて朽ちるのも前進か。それを皮肉でも悪意でもなく、純粋にそのまま捉えたくなるのは、自分が朽ち始めているからかな?

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